ラブリー・ボーン(ふたたび)

movie_kid2010-02-13

一週間もたたないうちに再び観に行った(祝日があったからだけどね)始めての以上にこの映画に魅せられてしまった。にもかかわらず、劇場での反応やネットで書き込まれている事が良くないどころでなく、酷評されているとこがわかって驚いた。
どうやら、一つの枠にはまっていない所というか、普通ではない視点で描かれている事に拒否反応をされちゃってる感じがした。面と向かって反論をぶつけたいなんて思わないけど、いいものはいいと言っておきたいね。
まず、原作がユニークなんだ。死んでしまった14歳の少女のモノローグで、その本人と家族の成長と再生の物語。ここで、死んだ少女がどうして成長するんだろうか? って思う所。人間は、機械やPCのようにオンオフが、単純に生と死と言いきれないし生返りもないけれど、死=無だと、結局、誰も生きてる人は知らない訳だから言いきれない。14歳の元気一杯、人生これからのスージーは、死んでしまってもおさまる所におさまらなかったのはすんなりと納得できるし、そこは映像でしっかりと見せてくれる。
『天国から来たチャンピオン』的にコメディー映画の中では、天国との行き来はさほど珍しくはないけれど、スージーの場合は、ちょっと違うかな、明の部分はとびきり輝き、忍び寄るダークサイドも強烈に描かれている。全体をとおして悲しい話にも関わらずその中で、生きる力と人の根っこの愛の素晴らしさを描いている。怖くて、悲しい話なのにちょっぴりおかしくて切なくて、ハラハラして、胸が張り裂けそうになりながら。
表立ってはいないけれど、確実に70年代のあの時代の空気が独特の雰囲気を醸し出している。サイケなロックもしかり(スーザン・サランドン扮するおばあちゃんが一見調子外れに見えても実は全体を支えているものの大事な要素)その時代が持っていたものと、変わりゆく80年代以後の自分達の暮らす社会の空気も何がしか影響あるんだろうと感じた。
大変な事件に遭遇した主人公のスージーと家族は、映画の中で本当に成長した姿を見せてくれる。メイクやらCGの表面的な部分でなく、映画の中の歩みそのもので人生の営みの素晴らしさと、目に見えるこの現実の世界よりもう少し幅の広い大きい世界観もあるんだと、映画を観ているこちらまで成長させてくれた実感さえある。
スーパーな少女も、スーパーな家族も出て来ないし、非道の悪が出てくるが今ではそんなに珍しい事でない人間の仕業。監督が、ファンタジーを撮っていたからと言ってこの映画を同じような見方をする方が変だろうと思う。
「お魚の様な名前でしょ」と、自分を紹介する魅力的なスージー・サーモンとその素晴らしい家族の物語を描くこの映画は、本当にいい映画だ。