ノウイング

movie_kid2009-08-02

未知との遭遇」系列の、正当なるサイエンス・フィクションだと思った。
当時「未知との遭遇」は、スピルバーグによって地球外知的生命の存在に真っ正面から取り組み、際物のUFOを科学的なデータを元にしながらの謳い文句でまんまと観客を術中にはめて、上質のエンターテイメントにわくわくドキドキしたものだった。異星人との遭遇に、本気でときめいたのだ。
さて、30年ほど経っても地球以外の惑星の人間とは遭遇できていない。宇宙の存在については、大きく2通りの考え方があり、神の意志のようなものが働いている決定論と偶然の積み重ねがすべての非決定論。物理学の教授役、ニコラス・ケイジが大学の授業で語るあたりでこの物語の行く先に地球にとどまらない途方もない大きい話の気配がしながらその伏線が、綿密で、ミステリー調のどこか不吉な恐ろしい感じもなかなか上手い。渋滞に巻き込まれ、そこが暗号の場所と気がついた途端、目の前を旅客機が横切りながら地面と激突する映像の迫力は半端じゃない。
ニコラス・ケイジが芸達者でも、やっぱりアクション優先だったので、科学者とも父親とも見れなかったのがちょっと残念だが、最後の最後であの物悲しい表情がよかった。主演の理由が、スターだからではなくてこの悲しい顔の表現力だからと一人納得をした。
未来経に向けての気持ちと、取り返しの出来ない崖っぷちに来た時、必要なのは家族の愛だったというメッセージはすんなり受け入れられた。炎に包まれる街や大地や地球の映像に、ハラハラと涙が流れるのもその人の愛がちゃんと描かれていたからだと思う。
滅びる者は、排除されるこの冷酷さも30年たった時代の背景があるのかもしれないし、スピルバーグよりはもっと先の事を語っていて、愛の種類を混雑させてない所に好感を持った。エンディングで未来に向けての映像を見せる必要があったのだろうかと思ったが、この部分にはハリウッド(映画会社)の強引な横槍と見てとれて、不信感は消えない。