ディア・ドクター

movie_kid2009-07-04

映画の始まりに流れたのが、ブルースだった。
ガラスの筒状のものを指にさし、アコーステックギターのフレッドからフレットに流れるように音を出すボトルネックの演奏。音と音の間の半音よりももっと細かく微妙な音が入ってこそ、よりブルースらしい奥深い音楽になる。映画のテーマもここにあり、中盤にさしかかる頃から俄然、あやふやな人の心もようがクロズアップされてくる。
田舎の無医村に、乞われてやって来た医者の話。見えるか、見えないか、笑福亭鶴瓶がその医者役で映画初主演。全国の誰もがみんな知っているツルベさんそのままに、にこやかに親しみやすく地域の高齢者に慕われている。そのまんまのキャラクター全開ながら、どこか胡散臭い雰囲気が、絶妙なバランスで差し込まれている。気がつくと笑福亭鶴瓶から、ちょっと頼りない中年の医者に、何を考えているのかわからない妙な男に見えて来た。
その大胆な演出の西川美和監督の手腕に驚く。もう一つ香川照之は、この監督前作『ゆれる』で、いまだに忘れられないほどの名演技だった。それだけに、普通なら同じ役者は連続して使わない所を、まったく違ったキャラクターで、真似の出来ない演技を引き出していた。
医者の失踪からサスペンスタッチで始まり、同時進行で二ヶ月前に戻りながらも失踪事件のその後までを、ひと夏の出来事のようにさらりとそして印象深く描く。
若い研修医、看護婦、製薬会社の営業、死を自覚する老婦人、親を残し都会で医者になった子、事件を追う刑事、それぞれの取り巻く人々の心もようが、群像劇の様相で見え隠れしてくる。
地域医療の問題と観客を映画に引き込んでいきながら、もっと普遍的な人と人の間にあるあやふやで、はっきり色分けも出来ないあたりの心もようをこの監督は描こうとしている。
物語のキーになる、静かな死を願う老婦人を八千草薫が演じ、その素晴らし演技は、役者ではないながら最高のエンターテイナーの笑福亭鶴瓶と相まって反応し共鳴し合い、奥深く、二人だけのシーンが特にチャーミング。
本人ですら意識出来ていない曖昧さの中にある心のありようが本当の個性であり、意味を持って来るような気にさせる。単純で一筋縄ではいかない人間の心もようを、ちゃんと描いて映画として魅力的に表現出来るこの監督は、懐深く人を受け入れているように思えた。ブルースの音楽と同じように、心に響いて来た。