劔岳 点の記
山が主役の映画だった。
そんな山々に抱かれた、明治の人々を描く事で
日本人とはこうだ、これこそ日本人だと言い切る
力強い、映画だった。
名誉のためでも、報酬でもなく、自らの仕事に誇りを持って
当時、最後の地図の空白を埋めるために険しく困難な一帯を
地道に測量し、山々の頂きに三角点を置いていく。
日露戦争後の国防の仕事として、軍部から陸軍の威信をかけて圧力がかかり
未踏の山に発足間もない日本山岳会も、最新装備で登頂を競うように目指し
地元では信仰の対象であり、人が立ち入ってはならない禁断の山
劔岳に、男達が引き寄せられて行くのだった。
黒沢映画から映画作りに関わり、カメラマンとなって数々の日本映画を
支えて来た(伝説の活動屋と肩書きが付いていた)木村大作、初監督作品。
熱心に邦画を観て来なかったので、その経歴にピンと来るものがなく
この年齢になってからの初監督と聞けば、題材や時代背景にも増して
堅苦しく、面白みの少なさそうな映画に思えていた。
しかし、そんな危惧は最初からぶっ飛ばされた。原点に戻ったような映画の撮り方
スタッフはもとより、役者さえ自分の足で一歩一歩何時間も歩き
撮影現場に到達する。映画そのままのリアルな環境に置かれる事で
もう演技とは言えないほどに役が自身と一体化して
圧倒される山々の映像とともにフィルムに焼き付いている。
雄大な山々にして、いかにも人間のちっぽけさが身に染みつつ
ひた向きに佇む日本人に、愛おしさを抑える事が出来なかった。
演じる者達にここまで、過酷な撮影をさせたこの映画
山での悪条件の撮影でありながら、カメラがまったく揺れない、ぶれない。
その山々と同じように微動だにしない絶対のフレームワークにスタッフを含め
木村監督の気構えと活動屋魂を感じてしまった。
100年前、明治の物語の映画が、いま、失われし日本人の心に力を与え
この先、何年も確実に残る映画である事も確信した。
終わった後には、本当に山を歩いて来たような
頭でなく全身で清々しさを感じた。