劔岳 点の記

movie_kid2009-06-28

山が主役の映画だった。
そんな山々に抱かれた、明治の人々を描く事で
日本人とはこうだ、これこそ日本人だと言い切る
力強い、映画だった。
名誉のためでも、報酬でもなく、自らの仕事に誇りを持って
当時、最後の地図の空白を埋めるために険しく困難な一帯を
地道に測量し、山々の頂きに三角点を置いていく。
日露戦争後の国防の仕事として、軍部から陸軍の威信をかけて圧力がかかり
未踏の山に発足間もない日本山岳会も、最新装備で登頂を競うように目指し
地元では信仰の対象であり、人が立ち入ってはならない禁断の山
劔岳に、男達が引き寄せられて行くのだった。
黒沢映画から映画作りに関わり、カメラマンとなって数々の日本映画を
支えて来た(伝説の活動屋と肩書きが付いていた)木村大作、初監督作品。
熱心に邦画を観て来なかったので、その経歴にピンと来るものがなく
この年齢になってからの初監督と聞けば、題材や時代背景にも増して
堅苦しく、面白みの少なさそうな映画に思えていた。
しかし、そんな危惧は最初からぶっ飛ばされた。原点に戻ったような映画の撮り方
スタッフはもとより、役者さえ自分の足で一歩一歩何時間も歩き
撮影現場に到達する。映画そのままのリアルな環境に置かれる事で
もう演技とは言えないほどに役が自身と一体化して
圧倒される山々の映像とともにフィルムに焼き付いている。
雄大な山々にして、いかにも人間のちっぽけさが身に染みつつ
ひた向きに佇む日本人に、愛おしさを抑える事が出来なかった。
演じる者達にここまで、過酷な撮影をさせたこの映画
山での悪条件の撮影でありながら、カメラがまったく揺れない、ぶれない。
その山々と同じように微動だにしない絶対のフレームワークにスタッフを含め
木村監督の気構えと活動屋魂を感じてしまった。
100年前、明治の物語の映画が、いま、失われし日本人の心に力を与え
この先、何年も確実に残る映画である事も確信した。
終わった後には、本当に山を歩いて来たような
頭でなく全身で清々しさを感じた。