ダウト〜あるカトリック学校で〜

movie_kid2009-03-27

学校が映し出され、そして教会が。
神父が「ダウト=疑い」とは、を説教で語るところから映画は始まる。
もともとこの舞台劇を書いた劇作家が映画までつくるに至った。
だから、言葉の重さは並大抵ではない。
疑惑の持たれる神父をフィリップ・シーモア・ホフマン
対峙追求するシスター、学校長のメリル・ストリープの芝居の応酬に圧倒される。
セリフだけでなく、目線や顔つき、仕草で物事の深さを見せ
人間関係が持つ、相手に対する疑念をはらませて行く。
その疑惑に正義を問えば、この小さな神学校での事が社会の事であり
国の事であり、そして個人の心の奥にまで入り込んでますます複雑になる。
芝居を観に行くよりも、より一般的な間口の広い映画というものにした理由
一般的とは言いがたい小さい世界を描きながら、広く大きくそれでいて
身近で切実な問いかけになり、考えさせるインパクトになるからと思う。
とてもすっきりとしない物語の、切れ味のいい映画のつくりに
おおぉ、感嘆のため息と涙がこぼれる。