ゴールデンウィーク前後、連休は続く。

先月、ここ4年半ほど続いていた仕事が終わって、たっぷり時間ができた。
仕事や用事に追われて滞っていたブログのアップも、やっと以前のようなペースで書けるのかなと思っていたが、そういうものではないようだ。
        ☆
ゴールデンウィーク前だったこともあり、飛び石とかも関係ないのだから久しぶりに故郷の母を、東京に招くことにした。
入院している義母のお見舞いや、かみさんの実家への挨拶など付き合いに絡むところ以外は、取り立てて何かイベントがある訳でもなかった。母のリクエストでスカイツリーに登り、それから銀座界隈をめぐる2階建てのオーブン・バスにも乗った。
街中で、真っ赤なこのバスを何度も見たことがあったので、いつか乗ってやろうと自分の興味のままに普段の生活目線とは違う東京観光を楽しんだ。

↑今年のゴールデンウィークは、お天気に恵まれた。上野公園からスカイツリー方面の風景、この時はまだ登る前々日。

↑さて、当日はやや薄曇り。スカイツリーにすごく登りたかった訳でもないが、中に入る寸前、期待でドキドキ。

↑やはり、ガスっていて視界がクリアでない。それでも、地上451.2mの天望回廊からの眺めは、素晴らしかった。隅田川、その向こうに自分の住むマンションが、持参した双眼鏡でも肉眼でも見えた。ちまちまとした街並の中で、ちまちまとした毎日の生活を暮らしていると思うと、少々複雑な気持ちになった。この初体験後、雨降りで荒天の翌日に朝から晴れていたら『スカイツリー日和』とばかりに、なにを置いても駆けつけて登りたくなる。

飲み食いに関しては、見えを張った店に行く考えもなく、まったく普段どおりにひとり飲みの店に連れて行った。
休日直前の高速バスのチケットが買えず、連休前の平日からこちらに来ていたので、北千住『大はし』、新宿・思い出横丁『カブト』にも行け、昼のちょい飲みには、銀座七丁目『ライオン』といった具合だった。
昭和のはじめに生まれた母は、すでに80歳オーバーながら今も元気いっぱいで、何でも飲み食べるので、こちらもあまり気を使う必要はない。
乗ったら着くまで寝てればいいと夜行の高速バスにひとりで乗って来て、早朝の新宿バスターミナル『新宿バスタ』に到着。眠くはないのかと聞いても、まったく大丈夫というので、それではと映画を観に行った。
映画を楽しんだあと、荷物は自宅に置きに行くも、そのまま北千住の銭湯へ。風呂上がりのいい気分のまま『大はし』で、開店してのれんが掛かるのを待った。
母がいると、どうしても関西弁(もっとローカルな和歌山弁)が口から出て来て、いつもと調子が狂う。それでも『大はし』のオヤジさんには、僕の魚好きの大元ですと母を紹介できた。
「この煮込み、ええダシでとる」と、定番の肉豆腐を母は旨そうに食べている。見かけの醤油の色に惑わされないで、しっかりとこの味をわかるとは、さすがは我が母である。
『カブト』に行った時も、母よりひとつ先輩のオヤジさんに
「本当に、かたエリでいいの?」と何度も聞かれながら
「全部自分の歯だから大丈夫、魚は食べなれているし、うなぎは大好物だから」
頭を開いたエリ焼きの串を頬張り、僕と同じように芋焼酎を飲んでいた。
あっぱれ! かあーちゃん
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そんな母と、楽しい一週間が過ぎた。
高級なところに一度も連れて行く事はなかったが、息子の事は一番わかっているだろうし、何より本人が楽しんでいたようだ。
来た時と同じように新宿バスタから、夜行の高速バスに乗って帰って行った。
すでにゴールデンウィークも後半に入っていたが、まだ明日も休みが続くからだろう、新宿南口の再開発エリアでは人も多かった。
駅ビルの一画に大きなガラス張りで、レストランやバーの中が見える集合飲食店ではたくさんの人々が、楽しそうに飲み食いしている。
今夜は、ひとりで見送りに来ていたので、母が帰ってしまうと、さすがに寂しい気分になって来た。
この一週間のほとんどが、かみさんも一緒のグループ行動でいつになく賑やかだっただけに、そんな楽しいひと時も終わってしまったのが身に沁みる。
こんな時は、やっぱりひとり飲みだな。
新しくて、きらびやかな南口でなく、ちょっと歩くが馴染んだ西口の思い出横丁に向かった。

↑新宿・思い出横丁『ささもと』(正月ぐらいは休むと思うが)たぶん無休。小腹が減って、飲みたい時には、日曜・祝日でも本当に重宝する。

↑金宮焼酎に、梅エキス一滴たらして飲めば、俄然、元気が湧いて来る。

↑かつて、キツかった週末の仕事帰りに同じようにこのカウンターの位置で飲みながら、カレンダーを見上げてため息ついた事もあった。

横丁の通りに入ると、祝日の夜、この時間帯は外国人観光客のパラダイスで、特に焼きトン『ささもと』は、相変わらずの人気店。カウンター奥に座ったら、奥のテーブルも並びのカウンターも外国人が圧倒的に占めていた。
まあ、これもいつもの事かと煮込みの汁をすすった。
判別のつかない外国語が飛び交うのを聞きながら、ビールに金宮焼酎と飲み進め、焼きトンを頬張る。目の前に貼られた5月のカレンダーを見上げながら、寂しさがこころの表面から少し沈み始め、何となくいつもの調子が出てくるのだった。(5月3日飲)