仕事の終わった、その後は

とうとう、最後のアップロードの為に制作会社に出社する前夜は、熟睡する事は出来なかった。
仕事が終わることの感情よりも、まさに最後の校了データの扱いに強いストレスを感じていたのだろう。こちらが責任持たされてしまうヤバイ失敗がぽろぽろと今年になってから表に出ていただけに、無何に終わらせる事にひたすら力を注ぎ込んで来た。
明日から出社して来る事がない会社でも、関係があったスタッフや社長、部署の責任者にとにかく終了の挨拶だけはしっかりして、この仕事の前制作会社にも終わった報告をした方がよいだろうと早めに退社して連絡を取った。
かつての仕事にも、引継いで行った自分に対しても気にしてくれているようだったが、これから伺って話しをしたりすることができる状態ではないほどに忙しい様子で、先方に行く事は日を改めることにした。

↑苦しい時も、悲しい時も、長年に渡って助けられて来た北千住『大はし』。こころからの感謝と、これからもよろしく。
まだ、いくぶん明るい夕暮れ、背負って来た荷物を肩から下ろしたような、ホッとした気分でこれは、一杯飲みに行くに限る。
地下鉄・日比谷線に乗って最寄りの下車駅の三ノ輪の到着前に、その先の北千住まで乗り越して『大はし』でひとり飲みだなとこころを決め、退屈な地下鉄のドアの外を見つめていた。そうしたら、上野の手前の新御徒町で見知った人物がホームにいるのが見えた。
飲み友達のかつての同僚で、何度か仕事もして一緒に飲んだこともある、数年、会っていなかった人物だ。わざわざ、電車を降りてまで、声をかけるのかと躊躇する事もなく、とっさに電車を降りて声をかけた。
向こうもこちらも、共に懐かしいなぁーと声を出し、声をかけてくれた事をとても喜んでくれた。どうやら、こちらにしても終えた仕事のこともあり寂しい気分になっていたのかもしれない。
そのすぐあと、向こうの様子がちょっと気にかかると彼の片手にはストロングなんとかの酎ハイ缶がにぎられていた。そんなに酒の強い人ではなかったように覚えているが、少しいい気分になっていたのか、もしくは、夕暮れにどうにもやるせなくなって、たまらず地下鉄のホームで酒を口にしていたのか。
申し訳ないが、何か探る感じになりながらも共通の知り合いの話をしつつ同じ方向の後続の電車に乗るのだった。
これから飲む気満々のこちらと、程度は推し量れないもののすでに酔いつつある旧知の人物と偶然出会っている訳なのだから、そのまま飲みに行くのが流れだろうとハラを括り始めていたが、そうはならなかった。
向こうの闇が深すぎたのか、こちらにしても景気のいい話が口から出る事はない自制も働いたのか、帰りの通勤ラッシュでごった返した北千住のホームでくたびれたおじさん二人は別れた。
「北千住、楽しんで」
彼は別れ際に、元気をふり絞るように言うのだった。
       ☆
週の真ん中でも『大はし』は、満席。しかし、仕事帰りにちょい飲みの人も多いのだろう、すぐにカウンターに座れた。
ヘトヘトに疲れたこころと身体、かさかさになった全身にすうーっと、金宮の酎ハイが染み込んで、肉豆腐の一口がすぐに力となって吸収されていく。
「ほいさぁ、刺身は、何からいきますか」
オヤジさんが、満面の笑みで聞いてくれた。(4月13日飲)

* 仕事の事もあって、なかなかアップの出来ない状態でした。先の事も、わからない現状ですが、出来るだけ書き続けたいなと思っています。