年頭、初カブトにて

新宿・思い出横丁『カブト』で飲む時には、必ず入る前に店の写真を撮るようにしている。毎回、似たような写真になるが、お客さんの入り具合や座っているお客さんの後ろ姿が映り込むのだから、一期一会、同じ風景とは違うのだ。(と、本人は、思っている)
駅の方から来て、正面から店を撮ろうとすると、中の席からじっとこちらを見ている人がいる。必ず、ブログにアップする訳ではないが、顔出しはよくないので一応、顔をそらし斜めから店を撮った。
のれんに首を突っ込んでみると、どうやら満席かと思うも、先ほど席から外をじっと見つめていたおじさん、いや、おじいさんの隣で焼き台側の角の席が空いていた。「スミマセン、入ります」と、もぐり込ませてもらい、今年、初めての『カブト』を楽しむ。

↑思い出横丁『カブト』半分外じゃないかといいたくなるほど、開放的な店構えだ。狭い中にぎゅうぎゅうに押し込まれているようだが、わずかな隙間にもぐり込んで座ってみると、店内が何とも居心地の良い空間である事がすぐにわかる。
       ☆
話は、さかのぼり昨年の秋の事だ。
上野公園の中にあるスターバックスで、外の気持ちのよい大きいテーブルでコーヒーを楽しんでいる時、向かいに座った外国人観光客の白人の紳士が、バックから本を取り出し、熱心に読み始めた。
『TOKYO』と、タイトルが目に入ったのでガイド本だなと思った。しかし、驚いた事にその表紙が、思い出横丁の『カブト』だった。「えっ、なんでまた」と、不信に思うも“カブト・ファン”にとっては、少々誇らしい気分になった。
まさか『カブト』が、東京を代表するガイド本の表紙になるとは、まさに「びっくり、ポン!」だった。

↑外国人観光客に対しては『カブト』の親父さんは、たいして食べないのに、長居をすると、少々渋い顔をする。このガイド本、片手に表紙を指してやって来る外国人に対して、困ったと言っていた。仮に、自分が外国人旅行者の立場だったら、もちろん本を片手に来てしまうと思う。英語のかなり分厚いガイドブック、上野駅の本屋さんで見つけたし、アマゾンでも簡単にヒットした。
       ☆
カブトの親父さんは、確か今年84歳、申年の年男だ。
その親父さんが、現役でうなぎを焼きながら、常連のおじいさんの事を「この人は90歳なんだよ」と気づかっている。ヒレ串2本を目の前に金宮焼酎を飲んでいるが、一本は食べて串のみでもう一本には手を付けず金宮焼酎だけをちびちびやっていた。
2杯目の焼酎を所望して、千円札を2枚差し出した。カブトの親父さんは「大丈夫ですか。もっと、食べなきゃー」と、心配そうに焼酎を注ぎ、清算を済ませた。身体も、声も小さく、あまり何を言っているのか聞き取れないが、とても尋常でないオーラがでているように感じ、スター・ウォーズジェダイマスター・ヨーダを思い出させた。
向こう隣の席に居合わせた若者二人連れも、ヨーダじいさんの雰囲気にいたく感動したようで、帰り際に「これからも、頑張って飲んでください」とハグまでしてゆくのだった。
気がつくとこちらも焼酎2杯目を飲んでしまい、今日は、これで切り上げるかと財布を取り出したとき、隣のヨーダじいさんがポンと食べ残していたヒレ焼きの串を僕の皿に乗せた。食べろと言っていると察する事はできたが、もう酒もないしこれだけ食べるのはつらいので、丁重に辞退した。
僕もカブトでは、長居する方だが、独自の時間感覚があるのではと思うくらいどこか超越した感じのヨーダじいさんは、勘定を済ませながらもそのまま座り続けていた。

↑本日最後のレバ串に、ぎりぎり間に合った。すでに売り切れの札が貼ってあったが、最後の人数計算をしていて、僕にまである事がわかり、カブトのおやじさんはよかったねと言ってくれた。年頭の初カブトで、なかなか運がよかった。

↑7本の一通りに、マル塩2本の追加が、いつものパターン。
       ☆
駅と反対方向へ路地を下って、靖国通りの大ガードのところに出た。
今日は、新宿で飲んだついでに、古い仕事仲間の新年会の店を下見しようと大久保よりの西新宿に足を伸ばした。もう一杯飲みたい訳でなく、焼酎好きがいるのでその品揃えがどうだったか確認したかったのだ。
店は、混雑していて、ふらりと入ったひとりの客に対応してくれるタイミングがなかったので、席にも座らずメニューだけざっと確認した。これで用事は済んだので、飲まないで帰ることにして、また、新宿駅の方にぶらぶらと歩き始めた。ちょうど思い出横丁と反対側にあたる横断歩道の信号のところで、見覚えのある後ろ姿が視界に入って来た。
そう、先ほどまで隣で飲んでいたヨーダじいさんだ。
タクシーを止めようとしているだろうか?
なんだか夢中で、その後ろ姿を写真に撮った。
90歳、思い出横丁『カブト』にて、ヒレ串1本食べ、金宮焼酎2杯、ひとり飲みマスター・ヨーダの偉大な後ろ姿を、新宿の雑踏の中で見つめるのだった。(1月9日飲)

↑自分の目には、もう単なるおじいちゃんとは写っていなかった。果たして、自分に90歳まで、ひとり飲みを続けることができるのだろうか。あとで調べてわかったのだが、今年90歳だとしたら、大正15年、昭和元年生まれだった。