できたてオムレツの湯気に、涙する

北千住『大はし』では、肉豆腐からはじまって、魚や貝類のお刺身、照焼、そして、オムレツで締める。何度か、ブログでも書いたことがあるが、東京の下町に住み始めて二十年、この店で定着した飲み方にほとんど変化はない。
飲むのは、金宮焼酎の炭酸割で、梅のエキスは、ほんの一滴を落とす程度。
定番以外に、菜の花のからし合え、ワラビ、もずく酢などの酸っぱい系などその時々の旬のものを気が向いたら食べるし、基本のお刺身や照焼の魚や貝類は、季節によって、やっぱり変化に富んでいる。
しかし、はじめの肉豆腐と締めのオムレツは、毎回、まったく変わらないので、自分でもよく飽きないものだと驚く。人にも、なんで最後にオムレツなのかと聞かれたことがあるが、明確な答えもなく、いつのまにかこれを食べるとさて切り上げるかと踏ん切りがついて、結局、毎回食べている。
『大はし』のオムレツは、玉子に焼豚のような小さな肉の角切りがぱらぱらと入っている。ソースは、キャベツの千切りに少し垂らすだけで本体のオムレツには何も付けない。肉の角切りの塩味と、玉子の甘さだけで充分満足する。オムレツに、煮込み汁をかける裏メニューを好む常連も中にはいるようだが、断然、シンプルに食べる方がいいと思っている。

↑もう何年くらいになるのだろうか、『大はし』店内の撮影が禁止なった。それまでは、いつも食べたものの写真は撮っていた。このブログを書きはじめた頃、よくオムレツの写真もアップしていた。それを引っ張り出してくるのも芸が無いので、かつて食べたオムレツの写真をパソコンでトレースしてみた。
今夜も、そろそろ締めにオムレツを注文する。
目印に、ソースさしが目の前に置かれ、残りの炭酸で最後の一杯を作っているうちに焼き上がったばかりのオムレツが目の前に出された。見事にできたてのほやほやで、まさに湯気が上がっていた。
すぐに箸をつけるのも忘れて見惚れてしまっていたら、とっさに、目から涙がほろほろと出て来た。あっ、やばいとまわりには悟られないように素早く拭いながら、箸を出して口に入れるとふわふわの旨さで、えも言われぬ切羽詰まった気持ちがますます強くなって来た。
なんぞ、我慢できないくらいのつらいことがあった訳でも、旨いオムレツを食すことぐらいしかいいことないと人生を嘆きたかったのでも、もちろんない。
自分でも、オムレツで泣けるとは思わなかったが、できたてのオムレツだけで、本当に涙が出ることもあるのだろうか。
しかし、取り立てて深く考えても、このオムレツのシンプルなうまさのように複雑になにかあるわけではないだろう。
食べ物というものは、不思議なものである。時として、ふとしたことで心を揺さぶるのである。(7月17日飲)

↑今年の前半は、平日に休みの日も多かったので、ゆっくり銭湯には入ってから早い時間に『大はし』に飲みに来ていた。夏場をピークに、仕事がたて込んで来たため、週末の金曜日、むりむりに仕事を終わらせて駆けつけても20時を過ぎてしまう。「今、いっぱいだよ」と、のれんをくぐるなりに言われても勢いで店内に入り、じっと我慢して席が空くのを待つことになる。

↑おまけの写真は、上野・不忍池の蓮が咲き始め見事な姿を見せている。半年前の冬のこの池の姿をブログに紹介したので、夏の今も載せたくなった。仕事の日でも、上野公園のスターバックスでコーヒー飲んでから、蓮の花を見て極楽浄土を味わってから、地獄の(ように暑い)街の中へ。