歴史は、電球傘にあらわれる。

デザイン事務所に通勤するときに、必ずと言っていいほど、築地のスターバックスでコーヒーを買っている。この地に通い始めて4年だから、もう顔なじみといっていいだろう。
レジで「今日、この店の16歳の誕生日になりました。お客樣のおかげです、いつもありがとうございます」と、挨拶された。とても、16年前からレジに立っていたとは思えない若い女性から言われたのだが「それは、おめでとうございます」と、こちらもエリを正して言葉を返した。
店に歴史あり、世界的コーヒーチェーンの会社とは言っても、支店の一店一店に日々の努力があるからこその継続なのだろう。
歴史と言っても少し違うが、新宿・思い出横丁の『カブト』の焼き台を照らし続けた電球の傘が、とうとう世代交代の時が来た。

↑色紙に『カブト』の電球傘の絵と文を描いた客がいて、今でもそれを店に飾っている。味わいのある絵と文で、現物と見比べながら飲む焼酎もまた旨い。実際に店に来て、うなぎもそうだが、絵と実物の電球傘を味わってほしい。
同じ『カブト』ファンの“びんさん”から、このブログに電球傘の殿堂入りついての書き込みをいただいていた。そういえば、2週間ほど『カブト』には行っていなかったと、いそいそと新宿、思い出横丁に出掛けていった。
『カブト』では、すでに2年前に世代交代があり、おやじさんの孫O君が店のカウンターの中に立つようになった。そのO君の前に座り、上新香とビールを出してもらい、焼きたてのヒレをあちあちと齧り、ビールをぐぃっと飲む。
「あーっ、これ、これ」と、口に出して言いたくなる。
さてと、そうだと思い出して上を見上げたら、おおっ、この存在感。
焼き台のおやじさんの手元を、新しい電気傘がすっきり明るく照らしているが、並んで堂々と『カブト』50年の歴史が黙って吊り下げられていた。

↑外から写真をとっても、中の雰囲気が伝わりにくいのだが、毎回『カブト』に来た時は、店に入る前の写真を必ず撮るようにしている。
「とうとう、変えたんだね」とO君に話しているとそれを聞いて、店にいた客達は、目先のうなぎの串や焼酎から顔を上げて、2つ並んだ電球傘を見上げた。
うなぎの焼ける煙に燻され続け、ふくれあがって炭化した電球の傘に、皆さん口々に感嘆の声をあげ始めた。
「ツララのように垂れ下がっていたのは、取っちゃったの」と、誰かが聞くと
「焼いている時には、どんどん垂れ下がって来ても、すぐに取れてしまうんですよ。真冬の本当に寒い時期には、固まっている時もあるけれど」
O君が、客に答えている横から、おやじさんも「新しいのだって、すぐにこうなっちまうよ」と話に入って来る。
ひとしきり、かつてオブジェのように焼き台の目の前にあった電球傘に話題が盛り上がり、その時に口火を切った自分としてもいい気分に浸っていた。こうして、世代交代があったとしても目の前に存在して、ちらり、ちらりと眺めながら酒を飲めるのは嬉しかった。
帰りの山手線で、昼酒の酔いに身を任せうつらうつらしていると、あっと声が出そうになった。電球傘の話に満足し過ぎて、現物の写真を撮っていないことに気がついたのだ。今日は焼酎2杯だったから、引き返してもう1杯飲んで写真を撮ろうかとも考えたが、山手線はすでに池袋を過ぎていて、来週、また行けばいいさと気持ちを抑えた。

↑写真を撮り忘れた先週は、限定本数終了のタイミングで、レバ串食べることができなかったが、今週は、ちょっと早めに来てレバ串もちゃんといただきました。
友達に連れられて初めて『カブト』で飲んで食べてから、足掛け30年ほどになるだろうか。頻繁に通うようになって20年ほどで、確かにこの電球傘の炭の層何ミリかのあたりからこの店で、同じ煙の空気を吸ってうなぎの串を齧り、焼酎を飲んでいたということになる。そう思うと、やたらとこの電球傘に親近感もわいて来る。
化石や木の年輪のような感覚に近いところで、店の歴史を象徴しているこの電球傘が、独特の存在感を放っている。
頻繁に来る客にも、かつて一度立ち寄って、縁あってふたたびこの店に来た客にも、今初めて来た若い客にも、汚い電球傘ではなくこの店の歴史として受け入れられるのではないかと、一週間後、カメラを向けて思った。
せっかく、二つを並べるといった粋な計らいをして頂けたのだから、この先、最低でもおやじさんが焼いている限り、ぶら下げていてほしいと心からお願いしたくなった。(6月20日飲)

↑マル塩を追加して、焼酎3杯目をたのんだら、飲み過ぎじゃないのとおやじさんからチェックが入ってしまった。マル塩を楽しみながら、これを飲んだら本日の終了、おとなしく家に帰ります。

↑帰りの西新宿、昼酒は、きくなぁー。