太陽の北千住『おおはし』と月の南千住『大林酒場』

(11月16日)
勝手にイメージを持ってしまい、なおかつ、それを言いふらすのもなんだが、大好きでよく飲みに行く『おおはし』と対峙するように『大林酒場』がある。
店内が混んで、わんわんとした喧噪のなか店のおやじさんが「ホイッサー」ときびきび動き回っているの眺めているだけで、美味しい金宮焼酎が飲み続けられる『おおはし』は、さながら太陽の感じだ。
今日、金曜日に仕事の具合で事務所に行かなくてもすんだので自宅で雑用などして、午後になると何だかそわそわして来る。面倒くさい帳簿整理などはほっといて、日のあるうちに散歩がてらに北千住に出かける事にした。北千住までは、小1時間はかかるが歩けない距離ではない。隅田川の大橋を渡って『おおはし』に飲みに行くのなんてちょっとイキでしょう。

荒川区荒川に在住。地下鉄・日比谷線三ノ輪駅をよく利用していて、台東区とはすぐ隣で、大橋を渡れば足立区北千住だ。
俳人芭蕉奥の細道の出発点でもあるこの橋を渡り、旧の日光街道を歩くと街道沿いに『おおはし』はある。銭湯でひとっ風呂浴びる前、より道して荒川の土手に行ってみた。すっきりと晴れ渡った秋の一日の夕暮れで、とても綺麗だった。そして、驚いた事に赤く染まった家々、ビルの先にあのシルエットはなんと、富士山だ。小さいが、あの存在感はさすがで、江戸時代なんかだと建物も少ないし本当に関東平野一帯どこからでも富士山を眺められたんだろう。だからこそ、東京の銭湯のペンキ絵はだいたいが富士山だ。立ち寄った大黒湯の湯舟につかりながら立派な富士山を見上げて、納得した。

↑写真で撮るとポッチリと小さいが、肉眼だと驚きと供に存在感のある富士山の夕日のシルエット。

↑北千住『おおはし』店内は、撮影不可。店の素っ頓狂なMちゃんは、今夜も写真ダメだ! と携帯を構えているひとに怒っていた。
銭湯でのんびりしていたが、まだ17時30分、余裕でと思いきやすでに『おおはし』の入り口に二人ほど立っていた。すぐに、中には入れたが、早くも満席で椅子に座って待つ羽目になった。この時間から、こんな状態が4時間あまり続くのだからおそろしい。
最近の店の盛況が、ただならぬものがあると思っていたが、あの大きな5段もある棚から溢れそうに金宮焼酎のキープボトルが並んでいる。このボトルの数を見るだけで、店の勢いが感じられるのだ。そんなボトル棚を前に肉豆腐から食べはじめ、きす昆布締め、カンパチ刺身、ほっけの塩焼き、かき酢。ひとりで飲んでいるとうるさいくらいの店内の喧噪だが、なんだか、心地よいのだ。ぽかぽか陽気のなかで、ひなたぼっこをしているような気分がする。
そんな酔い心地のなかで、ふと月の存在を思い出す。
南千住の『大林酒場』は、もう数年、ブログを書きはじめてからまだ行っていなかった。ひと駅隣の南千住、今でこそ電車の操車場後の広大な土地にマンション群が立ち並び駅前も、常磐線日比谷線つくばエクスプレスと3路線が通り大変身を遂げている。けれど、にぎやかな方向を背にして明治通にでてみると、交差点の信号の下に『泪橋』と看板がでている。劇画『明日のジョー』のはじまりは、身寄りのない矢吹ジョーが流れついたところで、丹下ダンペイと出会いボクシングで身を立てて泪橋から這い出る事をめざす。
明治通を渡り、浅草方向へ歩き始めるとかつて、山谷と呼ばれた日雇い労働者の街で、安い昔風にいえば“木賃宿”が目についてくる。すぐ先は、浅草界隈でにぎやかだし、今ではスカイツリーも目の前にどーんとそびえているが、ここは、どことなくひっそりとしていた。
泪橋からほんの数分で、簡素だが染め抜かれた大きな『大林』の暖簾と看板が見えて来る。写真を撮っていると先客が入り、後を追うように中に入るとがらんとした店内に飲み込まれる。客は、自分も入れて五人で、全員が男で、それもひとり飲みばかり。みんな一定の間隔をあけてカウンターに座って黙って飲んでいる。

↑『おおはし』は、数年前に立て直し新しい店舗になっているが『大林酒場』は、いつの時代からだとは見当もつかないくらいふるさと貫禄がある。十条の『斉藤酒場』のまさに昭和的とはおもむきが違っているのも不思議なところだ。
天井が高いためか、初めて来たときは、なんだか金魚鉢のなかに迷い込んだように感じた。
どこか、時空の外れた場所のような、時間に取り残された場所に感じる。宮崎駿 監督の『千と千尋の神隠し』の湯屋の小さいバージョンのようなものか。
テレビが、隅っこでついているが、流れているニュースがとても今の事柄に思えない。30年前の放送が流れていてもさほど気に留めないでいられる感じがする。
近頃、めっきり寒くなっていたとはいえまだ秋なのに、カウンターの中のストーブに火がついていた。
気怠そうに店のおやじさんが、酒や料理を運び、半紙に書かれたメニューの短冊に隠れて様子はわからないが、厨房でおばさんが料理を作っているようだ。おやじさんは、足がわるそうに引きずっているから気怠そうに感じるのかもしれないが、まったく、にこりともしない。

↑亀甲宮のマークの入った、金宮焼酎専用グラス。『おおはし』でも同じ金宮コップだが、一回りサイズが違う。『大林酒場』の方が、大きいグラスで焼酎氷入りで来る。炭酸はカウンターで目の前で瓶半分、おやじさんが注いでくれる。
前に来た時に、金宮の酎ハイくださいとたのんでいたら、3回目で「うちは、昔から酎ハイには金宮焼酎しか使っていない。いちいち、金宮と付けないでいいんだ」と、言われた。その時は、慣れていなかったから怒られたように感じたが、実は、そんな恐いひとではないようだ。
夏に来た時だった。開け放たれた窓から、時たま風が入るのがメニューの短冊が揺れてわかるが、とても蒸し暑い夜だった。うちわをそっと、カウンターに置いて「つかって」と、ひと言だけ言ってくれた。
そんな心遣いもありながら、3人組で入って来た客に「うちは、団体は扱っていないんだ」と追い返していた。でも、店には空いている四人がけのテーブル席が四つもあるのにもかかわらず、だ。
この店に綿々とした時間のなかでいろんな人が酒を飲みに来ていて、行儀のいい客ばかりか、どちらかといえば酒癖がわるいのや、それも金がなくて心がささくれているのが断然多い場所なりの接客が染み付いているとでも言えばよいのか。
酎ハイと肉豆腐をたのんだ。すでに『おおはし』で、満足し満腹だったが、ふと無意識に頼んだのが肉豆腐だった。やっぱり、こころの中で二つの店を対峙させたがっているのだろう。
その肉豆腐の肉は、豚肉で絹豆腐と注文が来たらさっと煮たもので名物『おおはし』の肉豆腐とはまったく別の料理、といえる。とはいえ『大林酒場』の肉豆腐は、それは、それなりに酒のつまみになるものだった。

↑ちょっと勇気がいったが、すでに飲んでいるのでおやじさんの目を盗んでの撮影。見つかれば、イヤな顔でにらまれるだけですまないかもしれない。炒り豚といった、妙なメニューもあり品数は結構多い。場所柄、ちゃんとメシも食べさせてくれるようでもある。
それにしても、5人の客、店のおやじ、誰も何もしゃべらず黙々と飲み、黙々と酒を注ぎ、料理を出す。旅先の夜道、月光に照らされているような、寂しさを感じながらも何か寒々とさせない温もりのようなものを感じる時間だった。
思い込んでいた通り、先ほどまでいた『おおはし』の喧噪と『大林酒場』の静寂。

太陽に焦がれながら、時々、月を思う。そんな気分になった。

飲み友だちに、こんな2軒のはしご酒する企画を思いついているんだと話しておきながら、一緒に来ないで早々に思い立ってひとりで来てしまった。また、今度、誘ってみようと思ったが、帰りに通りひとつ違うバス通りに行くためアーケードを通ったら躊躇する事を目にした。
屋根付きの雨を防げるシャッターの前でホームレスの段ボールの塊が点在していた。普通は、許されない商店街の寝泊まりだが、共存といっては語弊があるが地域側がやむなしと許しているのではないだろうか。目の当りにすると、酔いも引いてしまうが、これもこの地域日本の現実なのだからと向き合うしかないのか。