月曜日の濃い飲み会を思い出しながら、金曜日『おおはし』ひとり飲み

先週から土、日曜日も関係なく、はじめたばかりの仕事を続けていて、今週、金曜日に一息ついた。仕事にさそってくれたO木さんも含め、たずさわっている人達はまもなくはじまる撮影の準備に忙しそうだ。築地や八丁堀にほど近い、銀座の外れに事務所があり、昨夜も仕事が終わり空腹のまま途中で立ち食いそばなどを食べてとぼとぼ有楽町まで歩いて帰ったが、銀座のネオンも眩くて何だかせつなくなった。クリスマスのイルミネーションもあちこちにあり、女も男もきらびやかに溢れている風景は、疲れた仕事帰りには少し重い。
今日は、金曜日。明日からの土日は、休めそうで19時を前に自由の身となりこのままおちとちと家に帰れない。今回の事務所の最寄りの地下鉄のひとつが日比谷線なので、北千住まで一直線で行けるのだ。なにを迷うことがあるか『おおはし』に、いざ、急げ。

行きはじめた事務所にほど近い茅場町で、月曜日にあったなつかしい顔ぶれの飲み会の乾杯。集合時間の少し前に追加の訂正作業が舞い込んで来て遅れての参加となったが、濃い面々の勢いに乗って一気に盛り上がった。
しかし、だ。誰もが会社帰りのこの時間だから『おおはし』の前に、7人ほどの行列ができていた。もちろん、中でも人が待っていて、当分、店内に入るともできない状態。そうかこの時間は、仕事帰りに2人、3人と連れ立ってくる人が多いのだ。しっかり列をなして並んでいるので、ひとり飲みだからとするりと入れてもらう訳にもいかずに並んでるしかない。
外で30分、中で15分、今までのまち時間の最長だと思う。どこでも飲めればいいというものでもないし、次にまた『おおはし』にいつ来れるかわからないことを思えば、じっとまつしかないか。
まちながら、週のはじめのなつかしい顔ぶれの飲み会を思い出していた。先週から東京に来ている飲み友達のK西さんと、今度はじめて一緒に仕事をしているO木さんは同じ吉祥寺の小学校の同級生だ。十代の終わりに和歌山から東京に出て来て、この2人とは気の遠くなるような長い付き合いで、今もそれが進行中だ。この3人でこの前飲んだのが13年前、2人がばったりラーメン屋さんで再会してしまいその夜、突然、飲むことになったからと電話で呼び出された。今回、O木さんとは仕事することになり、徳島に移り住んだK西さんもたまたま東京に出て来ているタイミングで、飲まないではすまされない。K西さんが、徳島に戻る東京の滞在最終前夜に何とか飲むに至った訳だ。
K西さんは、両親の住む吉祥寺に滞在してたので同じ建物内に住む弟のH人君も参加して計4人の飲み会となった。なつかしい顔がそろったので同窓会のようでもあるが、子供から大人への変わりゆく微妙な年頃を片寄せ合いながら生きて来た仲間であり、仕事を始める楽しくもつらい日々を部分的に共有し長い時間をかけて過ごして来た間柄で、何だかひたすらに濃いものを感じた。若く気恥ずかしいところなんかも思い出しながら、お互いにいろいろあったな、というところだろうか。
酔いも回り、白熱した盛り上がりの中で、最年少のH人君に詰め寄った質問攻めにしてしまい、その答えぶりが気に入らなかったのかどうか、自分が妙に怒ってしまった記憶が残った。青筋たてて話すことでもないのに、まだまだ、若気の至りは残っていて妙な気恥ずかしさを感じた。

↑場面は変わって、今日の飲みはじめ。いつもの肉豆腐にたどり着くまでが、長かった。

↑長くまったとはいえ、時間的には早いから、お刺身類が残っていた。はたの刺身と、真鯛はポン酢で。

↑座ったら、すぐにおやじさんが厨房に声をかけてたのんでくれる照り焼きは、本日まぐろ。ものが違うのか、かたくならないのが不思議だ。

そんなことを思い出しながら、肉豆腐からはじまってお刺身、まぐろの照り焼きへと飲み食べ進むのだった。それにしても、まぐろの照り焼きは身がふわふわで柔らかく旨味がたっぷりだ。しっかり、オムレツまで食べてNEWボトル半分前に飲み終わったが、前回の金宮焼酎が3分の1ほど残っていたのでやっぱり飲むすぎか、酔いもかなりまわって来たようだ。さすがにもう店の外にまで並ぶ列はなくなったが、店内は満席の喧噪がまだまだ続くようだった。

↑赤貝は終了だったが、ホッキ貝があった。

↑何とも『おおはし』流に飲み進める楽しさ、居心地の良さよ。

↑さてさて、オムレツが来ると本日のフィナーレ。

↑店に駆けつけた時に、人だかりのある悲しさを乗り越えて、帰りは、ゆったり満足して家路につく。