新宿・思い出横丁「ささもと」で『新しい天体』

ゴールデン・ウィーク前に渡された仕事、連休が終わってからすぐに、1週間たったのでいつ仕上がるかと聞かれても、しっかり休日、祝日は休んでいたので進んでいないのはあたりまえだ。それで通用しないのが、仕事のつらいところ。ゴールデン・ウィークあけの1週間は、めまぐるしくただただ作業に打ち込んだ。気がつくと、もう週末の金曜日夜の9時もすぎて、事務所の半分は電気が消され大半人が帰っていた。な、なんとか10時には新宿にいたい。夕飯をカロリーメイトの半ブロックでごまかしていたお腹に、煮込みとビールを流し込みたいとそればかり考えていた。
念願というより、無理矢理に思い出横丁「ささもと」に10時前に立っていた。焼き台前からカウンターはいっぱいながら奥があいてるようで、共同トイレの路地裏から回って入り、カウンターの一番奥端にわりとゆったりと座って飲めた。

↑「ささもと」にあるひとつだけのテーブルは、お店の一番奥だ。

↑これ、これですよ。ひたすらこれを思い描きながら仕事に苦しんでました。

↑さっと軽焼きで来たカシラ。急ぐ気持ちが、まだ落ち着いていないためか、写真もとらずに一口食べちゃった。食べかけの一枚。

一杯目のビールに喉をならして、ふと見上げると目の前にカレンダーが貼ってある。赤く連なる数字の5月の連休とその次の9から13日の金曜日の今日をみて、深くため息がでてきた。
煮込み串、カシラ、たたき、茗荷肉巻き、トマト、タマネギと食べ進めて、ビールから金宮焼酎を飲んでいると隣の二人客におやじさんがもう少し食べるかと聞き、変わったものと出てきた串が、気になった。
煮込み串に時々入ってるフワなのだが、ちょっと違うぞ。こちらにもそれください、とすかさずたのんだ。生フワ塩焼きは、その呼び名通りふわっとした触感とコリコリした部分の二つの歯触りが混ざり合っている。煮込みに入ってるフワとは、まったく違うものだった。塩をふっただけで、軽く炙り、水分が飛んだ分で味がしまり、フワのスカスカな感じがねっとり感に変貌していたのだ。
店のお兄ちゃんに聞くと「生フワ」と頼んでください。湯通しのものもあるので、生があれば今のを出しますよ、とのこと。覚えておこう。

↑見上げるカレンダーにため息、ひとつ。仕事をしているからこそのこの一杯の旨さのだろうか? 仕事していないと酒代が、乏しくなる事は確かだが。

↑金宮焼酎には、梅ショップを一滴。ナンコツとそのまわりの肉や筋を粗く包丁で叩いた「たたき」歯への負担が大きいのに、これも毎回食べてる。

茗荷の肉巻きは、口が勝手に注文してる感じ。

↑疲れてるからトマト。酸味と旨味で、元気が出る。

↑これが、絶品の生フワ塩焼き。飲み友達のK西さんに早速メールで報告したが、どうも、反応がよくない。どうやら、フワの食感が好きではなさそうだが、焼いたものは見事にフワのイメージを塗り替えていたのだ。写真では、ちょっとわかりづらいけれど。

↑タマネギ。煮込み鍋投入料理法のおかげで、野菜の旨味を充分引き出されている。

↑レバ、ホーデンのねぎ醤油も、やっぱり、食べてしまう。

『新しい天体』とは、亡くなった開高健の小説で、日本中の旨いもの探し歩く主人公が、知らない味に出会う事は、新しい星をひとつ見つけるのと同じと説いた物語。高価で贅沢な食材のものより、裸電球の下のカウンターの串の味に今夜、星空を感じたのだ。

↑三杯目の最後の焼酎をこのくらい残して、キャベツが煮込み鍋でしんなりして出て来るタイミングをはかるのが酒飲みの技。

11PM、もちろん『カブト』は終わってる。自称『カブト』のファンは、おもむろに写真を一枚。