田舎暮らしブルース

『ひとり飲みブルース』から、このブログを『田舎暮らしブルース』に変更しようと計画を立てた。都会暮らしに別れを告げて、毎秋、炭焼きサンマを食べる東京都西多摩郡檜原村のかみさんの実家にするりともぐり込んで、収まってしまおうと目論んだ。
命をすり減らしながらの生活から、同じ東京でも檜原村の生活は、野菜作りや食材の手作りに精を出し四季を感じながらの早寝、早起き、たまには奥多摩の山々に入り歩き回る。毎朝、1、2時間自転車で走るのもいいな。

↑下町では、こんなものがニョキニョキ天に向かってのびている。自宅のベランダから見るとだんだん存在感が増して来た。

↑連休中日、銭湯の特別なラベンダー湯DAYのプレゼントタオル。結構、いいでしょう。

田舎ですぐには仕事も見つけられそうにないから、家事や畑の手伝いから始まって、基本的な料理はできるから料理番をして、仕事を始めるまでお金を入れるは勘弁してもらいたい所。そうすれば、今ある蓄えでもなんとか数年はやって行ける。かみさんは、仕事を持っているしマンションの払いは終わっているので、金銭的にもひとりの稼ぎでも十分やって行けるだろう。
とにかく、計画をノートにビッチリと書き出して第一段階、かみさんに話を理解してもらわなければいけない。休みになるとかみさんは、コーラスの練習やら演奏会でとても家にじっとしてないのであらかじめ時間を作るように約束して話し出したら、別に反対をするつもりはないらしい。仕事をしない期間があるのが気になるようだが、どうしても出来ないのなら1年か2年と期間を決めてそれ以上はどうあろうとお金を入れるようにしなければ、誰も納得しないと思うよ、と言う。細部をもう一度考え直すとして一週間後に、また話し合いをする事になった。なんだか、いい具合に話が動き出しそうだ。
次の話し合いで、父は頑固だし話がこじれそうだからまずは母をひとり誘い出して食事でもしながら話したらどうか、となった。翌日の日曜日に向うからでも出かけやすい立川駅でお昼を食べる事になった。「善は急げ」だが、こんな自分勝手な事を人に頼むとなるとやはり、自信が揺らいでくる。ここまで来たら引き下がる事も出来ないので、いつになく饒舌に話し始めたが、同居という段階でケンモホロロ、それは不可能とキツく言われた。なるほどな理由も言われたが、だいたいが他人のフンドシで相撲を取ろうなんて上手く行く訳がないのだろう、と自分で納得した。

↑渋谷から明治通を新宿方面に少し歩く映画館。日差しが、秋とは思えないような体育の日。

連休の3日目、久しぶりに渋谷に映画を観に行った。メキシコが舞台の70年代カルト映画『エル・ポト』の紺碧の青空と見まがうばかりの今日の晴天だ。映画の後は、スターバックスでラテを飲みながら感想をノートに書き綴り、夕方、また尾久の原公園へでも言ってみるかと思う。
この猛暑の夏からお楽しみで始めた、夕暮れペットボトル冷え冷え焼酎飲みも今回で9回目かな、もう秋も深まりつつあるのにまだ大丈夫だ。祝日でのんびりくつろぐ人も多く、いつもの定位置ベンチが空いていなかった。

↑夕暮れになるとさすがに秋の気配が濃くなって来た。公園から土手道をはさんで隅田川がすぐ近く。

↑ぶり寿司と手作りおさつサラダ。ボルビックの中身は、例の方法で凍らせた芋焼酎
『田舎暮らしブルース』を挫折した昨日の事、一連その事ばかり考えて来た半月余の事をふりかえりながらペットボトルの焼酎をぐいっ飲むと、口の中で冷たく喉からかっと熱く沁みて胃にどすんと落ちた。
義理の母は「働ける間は働いた方がいいよ。年取ってからはお金を稼げないからね」と、言っていたけれど、自分にはもっと彷徨え、都会の奥深く漂えと言われているように、何となくそう感じた。ひとり飲みブルースは、もう少し続くようだ。

↑なんだか、心に沁みるなぁー。