別れの昼ビール

高校の同級生、K君が上京して来た。
和歌山県の田舎町にある電気屋さんの2代目で、メーカー主催の販売店全国大会に出席するため東京への2泊3日の予定だった。
もともとは、1泊のイベントだそうだが、前倒しで1日早く来るのでどこか、飲みに連れて行ってくれとの事だった。
すでに10年前ほどに、息子の大学受験に付き添って来て、久しぶりだねと飲んだこともあった。近々では、5,6年ぶりぐらいになるかもしれない。
5月のうちにメールをもらっていたが、指定された日に、自分がどんな予定でいるのか見当がつかない求職中の身だ。カッコ悪い話だが、どうにもそんな状態なので、最優先という訳にはいかないかもしれないよと返事をしていた。
そんな心配の必要もなく、職無しのまま6月の中旬にさしかかり、彼は御茶ノ水に泊まるというので、そのホテルまで出向いて行った。
このブログも読んでいて、思い出横丁『カブト』に興味があるというので、新宿に行くことにした。

↑平日のお昼『日比谷茶廊』が、ランチタイムの“サラメシ”だったとは知らなかった。日曜日とは、がらりと雰囲気が変わるものだが、晴れた日の気持ち良さは同じだ。圧倒的なサラメシ達に囲まれても、気後れせずに旨いドイツ生ビールを飲めるのも、おじさんの証拠かな。
彼の暮らす町は、かなり山側に位置するのだが、紀伊水道の海沿いからいい鮮魚の流通があるそうで、昨夜も何とも旨い“ヨコワ”(近海で捕れる、小型クロまぐろの関西よび名)を食べたそうである。そんな事を言いながらも、うなぎのヒレ串を齧り、川魚の香りがすると満足そうにニンマリとした。
食にはめっぽううるさいが、何でも食べる。こうでなければ、いけない。
K君は、横丁を通りカブトの店内に座ってからもどうも落ち着かない様子で、どうしたのか聞いてみると
「どうにも、無造作に束ねられ黒ずんだ配線やしょう油で煮しまったようなエアコン、タレが固まった電球が、電気屋の目から見たら気になってしかたない」
なるほど、そういえば世代交代した電球傘にも相当に、溶岩のような煤の塊が付着している。
そうか、こいつ電気屋だったなと思い出しながら、彼も相当変なのだ。
電気屋なのに、まったくテレビを見ない。いまだに文学青年、いや、文学中年で、時間があれば読書にいそしんでいる。こちらも本が好きだから、音楽の話も含めて盛り上がるので、それはそれで同じようなものなのだが。
さて次は、同じ思い出横丁地下にある『みのる』で、ハイボールを飲む事にした。
店内が、まさしく昭和の雰囲気のなかで、ジャズが控えめに流れていて
「ここ、ホンマにええな。落ち着くわぁー」
ハイボールが、絶妙の味だと、感想を口にしていた。
その後、少し前に火事のあったゴールデン街にも行っておきたいとの事だったので、喧騒の歌舞伎町を抜けて『ダンさん』へ、顔を出すことにした。
     ☆
3日目は、帰るだけと聞いたので、新幹線に乗る前に昼ビールでもどうかと誘うともちろんと、二つ返事が返って来た。
梅雨空の続く週だったが、週末の金曜日に気持ちよく晴れ渡った。
晴天であれば、迷わず『日比谷茶廊』のオープンテラスで飲むビールは最高だ。
東京駅のコインロッカーに荷物を先に預けてもらってから、有楽町の駅で11時30分に待ち合わせた。その時間からの営業だったので、ぶらぶらと日比谷公園を抜けて行くと、テーブルセットもばっちり整っていた。

アジサイも昨日までの雨で、元気に咲き誇っていた。天気もよくなって、青色が輝いていた。
公園が見える入口のテーブルに陣取って、ドイツ生ビール『エルディンガー・ピカントゥス』の背の高いグラスを2列立ち並べるのだった。
出されたメニューがランチだけで、回りを見ると“サラメシ”タイムの始まりだった。店内一杯に近隣のホワイトカラーのサラリーマンが(官庁関係の人も多いのかも)働く女性達も含めて数多く、昼の憩いの時間を日比谷公園内のレストランのランチを食べながら過ごしているのだ。
片や、入口テーブルで昼ビールを楽しむ、旅行者と職無しのオヤジ2人組。大勢の“サラメシ”達に囲まれて、形勢は不利だが臆する事もないだろう。混み合う前だったらと、強引にお願いした生ハムをつまみに生ビールを飲み、調子に乗ってビールのお代わりをするのだった。

↑お代わりのエビス琥珀生ビール、すっかり調子に乗って、やっぱり大ジョッキー。K君は、ベルギービールも好きなものでと、香り高い白ビールを控えめサイズで。
電気屋のK君に
「よく、親父さんの代から店を潰さずにやって来られたね」と。
「今も楽ではないけど、自分の息子は継がないのはわかったので、後継者を育てるのがこれからの心労だな」
「お土産と言っては何だけど、アメリカ翻訳もので君が知らなかった作家“ポール・オースター”の文庫本、有楽町で待ち合わせの前に買ったので、読んでみてよ」
久しく人に本をプレゼントするなんてしていなかったので、少し気恥ずかしいところだが、彼だからそれほど抵抗もなかった。昔から、これ読め、あれ読めとおせっかいによく言い合っていた仲だ。
帰りの車中を考えて、何か腹に入れておきたいと言うので、それではもう一軒、銀座七丁目『ライオン』に、昼ビールのハシゴとなった。
昭和7年創業の内装をそのまま残している店内に入ると
「なかなか、ええなぁー」と、さらに2人は
別れの昼ビールを、ゆっくりとノドに流し込むのだった。(6月17日飲)