中華小皿料理と290円生ビールで、語り合った4時間あまり

ひと渡り、休職中の近況報告をするべき人達にメールやハガキを送り、そして、連絡をとって酒を飲んだりした。そうかといって、急に仕事が舞い込んでくるような景気のいい話は、今の日本社会ではあり得ない。出版不況の業界で、ますます新規に仕事を見つけることは並大抵ではないようだ。あまり右往左往しすぎないで、腰をすえてかからないと精神的にもまいってしまうなと思いはじめていた。
そう言えば、あと1人連絡しなければと思っていた古い知り合いがいた。今年になって仕事のことで連絡くれたが、こちらも事務所の忙しさに追われていたため、仕事の話ばかりかちょっと会って酒を飲むこともできなかった。

↑今回の写真は、これだけ。壁に貼られた小皿メニューの一覧の中から1人2品を選びプラス生ビールのセットで980円。おかわりの生ビール290円、何杯おかわりしたのだろうか、途中でウーロンハイに飲み物を変えてお会計が1人3,270円とリーズナブル価格。そんなんで、4時間以上も粘っていてよかったんだろうかと後から思った。

どれだけ古い付き合いかといえば、33年前、まだ仕事もはじめていない頃にさかのぼる。長年の飲み友達、K西さんの小学校の同級生である。50歳を過ぎたおっさんが、古い付き合いでね、と言いだしてみると、十代の頃や小学生にまで至るのはどうなんだろうと、妙な恥ずかしさを感じる。当時の青臭い自分やその姿をおぼろげながらも思い出したりするからだろうか。
和歌山からやって来て、編集の専門学校に通いそこでK西さんと出会い何度か一緒に飲んでるところに、突然、O木さんが現れた。大学を中退して、コピーライターの仕事を始めていた矢先で、どこか熱に浮かされたような強いオーラを発していた。世の中にコピーライターなる職業が認知されはじめた頃で、初めて接した広告業界の人間だった。僕は年も3つ若く、編集全般の勉強を1年間受けたばかりだったので、突如現れた得体の知れないパワフルな業界の人間に驚いた。どこを気に入ってくれたのか、20代のかなり長い期間をO木さんからさそわれて一緒に飲み歩くことになる。
そんな広告の世界にいたO木さんを見ていながら、自分は出版に向いてるなと自覚しその道を歩んで行った。その後、O木さんとは音信不通でもなかったが、映像の媒体に仕事を広げて、激しい業界の中で多忙を極めたようで、数年ぶりに会って飲んでもどこか住む世界が違うなと感じるばかりだった。
最近、会ったのは6年前、景気もますます悪くなって行く中で、仕事の状況もよくなかったのだろうか、心配してしまうほど疲弊しているようだった。今年になって連絡くれたときは、腰を痛めて元気ではないものの新しく動き始めた仕事に関わっているようだった。
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中央区、銀座の外れで築地にも近い地下鉄の駅出口で待っていると、O木さんが現れた。メールで近況報告を出したら、翌日に連絡をくれ、電話口でざっくり何を自分がやっていてどんな状況で、どんなことをたのみたいのか一気に話した後、今日、会えないのとなった。さすがは、広告ディレクターで説明が端的でわかりやすく、そして、押しも強く、数分の電話で何となく話がわかった気になる。
ふたり連れ立って、近くの中華料理屋に入り話すこと4時間あまり、とにかく、話すことが多かった。1人2品の小皿料理をたのみ、290円の生ビールのおかわりをぐいぐいあおりながら、会っていなかった6年間を埋めるように語り合った。
そんな訳で、いつものように食べ物や飲み物の写真を撮る余裕もなく、写真のないブログになってしまった。
さて、仕事の話はもちろんした。広告業界で生きて来たO木さんが進める仕事は、やっぱりモノを売るために関連することで、通販のカタログ冊子の制作だった。広告の仕事とはいえ、ページで展開させる雑誌のエディトリアルデザイン作業と同じだから、人手が必要とされる先を見越して声をかけてくれたのだ。
休職中の状況で渡りに舟の話だが、いろいろと見極めなければ続かないのも仕事だから慎重に考えなければと思う。ただ、昔からの知り合いと話し込んだ後で「長い年月が経っても、その性根の部分がこんなに変わらない奴も珍しい、成長していないと言ってるのでなくてね」と、ほめられてるのかその逆かどうかわからないけれど相手に言われ、そんなお互いの関係がいい意味で働いて、何とかなるのかなとも思ってしまった。
ここに来て、仕事に関して少し動きはじめたようだ。